割れ鍋に綴じ蓋 ―ワレナベニトジブタ―
第16回 朝刊の事実と真実
なかなか眠れない。横たわったダブルベッドの中、私は何回となく寝返りを打つ。
その度に、無邪気なほどに無防備な寝姿の女房が、視界の中に入り込んだり消えたりしている。
違う時間、違う場所に産まれ、違った環境で育った私たちが、20年前の婚姻届を機に世界で一番身近な他人として、それぞれの道を重ね合わせて歩いてきた。
しかし本当に、この女(ひと)が私という「割れ鍋」に対する神の選び給うた、たった1つの存在「綴じ蓋」なのだろうか。
「むにゃむにゃ」
私がばたばた寝返りばかり打つものだから、寝苦しくて眠りが浅いのだろう。女房が珍しく寝言を言った。「もう、お父さんったら・・・」の後は、残念ながらよく聞き取れなかった。
私は、ちょっとだけ笑みを漏らした。そんな女房が妙に愛しく感じると、なぜかすうっと気持が軽くなった気がしたのだ。
一緒になってからの20年。私の、いや、私たちの人生。正直、いいことばかりとは言えないけれど、それでも、まずまずの人生だったじゃないか。100点満点は、おこがましいが、まあ70点はつけてもいいかもしれない。
それが、博士の言うところの神様の決めた「出来レース」であったにせよ、私と女房が共に主張し合い、時には譲り合い、慰め合い、喜び合って、泣き笑いの中紡いできた20年間は間違いなく存在したし、これからも同じようにお互いがかけがえのない存在として続くはずだ。
そして、私たち2人のDNAを継いだ2人の子どもたち。当然、彼らも神の選び給うた世界を形作る存在であり、いつの日にか彼ら自身もそれに気づくのだろう。
私は突如訪れた眠気の中で、眠りに落ちる間際、幻を見た。星々の煌く深淵な宇宙の空間に、若い日の私を先頭にして、父、母、祖父や祖母、それに見たこともない無数の祖先たちが、まさに延々と手を繋いで列をなしているのだ。そして、遥か彼方には、同じようにたくさんの人たちと手を繋ぐあの頃の彼女の姿が見えるのだった。
私たちはお互い、まるで磁石のN極とS極のように引き寄せ合い、瞬く間に私たちが固く手を繋ぐと、その長い2筋の群れは、流れるような螺旋状に絡み合っていくのだった。
朝。私が目を覚ました時には、女房は既に朝食の準備でキッチンにいた。
完全な寝不足だ、眠い。
「おはよう」
「おはよう。日曜だって言うのに今朝は随分早いのね」
「あ、ああ」
女房が私に手渡そうと、笑顔で朝刊を差し出す。
「!」
それまで寝起きで、まだ完全に働いていなかった私の思考回路が、彼女の手に握られた朝刊を見て、電気仕掛けのようにキヲツケをした。
(新聞、社会面だ、見なくっちゃ)
私の心臓がバクバクといっきに暴走し始めた。努めて平静を装っているつもりなのだが、きっと私の顔ときたら、昨日モニターで見たあの引きつった顔そのものなのだ。
私は震える指を悟られまいとテーブルに新聞を広げて社会面をむさぼるように読み始めた。
コンビニに強盗、売上金3万円を強奪・・・
老人を狙ってバイクで引ったくり続発・・・
公務員の不祥事隠蔽相次ぐ・・・
くだらない事件ばかりだ。ろくな世の中じゃない。しかし、どこにどんなヒントがあるか知れない。私は一字一句読み漏らすまいと上から順に全ての記事を読んでいった。
(あっ!)
そして、私は、ついに見つけた。下段、広告の上に位置したその記事には、
黒い縁取りが施されていた。
<訃報>
和田京作さん64歳=画家
○月○日 肺がんの為に死去。
葬儀は近親者のみで行なう。
こ、この記事だ。和田先生、亡くなられたんだ。まだ64歳、お若いのに。しかし、私の本当の驚きは、その先にあった。
「喪主は妻の由紀さん」
も、喪主が由紀さん。あの西条由紀さんが、いつしか和田先生の妻になっていたのだ。学生結婚したあの奥さんとは、どうしたんだろうか。
昨日の私が直感的に感じた2つの画像と2つの表情が、私の脳裏、二重写しに蘇った。
1つは、16分割の中の左上、唯一過去を知らない私が、この新聞記事を発見した時の驚愕からそれを受け入れた時の表情。
そして、もう1つは、20数年前の富士駅の上りプラットホーム。私を抱きしめた父が自身の封印した過去を知ったに違いないあの表情。
あの左上の画面の私は、父と同様、封印して来た過去と能動的に向き合い、それを瞬時に昇華し受け入れたのだ
まさに今が、16分割の、いや、全ての異世界の私が、リンクした瞬間だった。
私は、この時初めて博士が言った言葉を実感した。私たち生を受けた者全てが歩んできた道、そして、これからも歩み続けてゆく道は、たった1本の道に通じているのだと。
最終回「手紙」へつづく
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