割れ鍋に綴じ蓋 ―ワレナベニトジブタ―
第7回 記憶の抽斗
私の意識は、幾重にも重なりながら、進んでは戻り、戻っては進みを繰り返して、膨大な記憶という大河の奔流にいた。
やっと見つけた真実や思いがけない嘘にぶつかっては、跳ね飛ばされ散りじりになってしまっていた過去が、大きなうねりの中でいつしかまた一つになり、その度に、忘れ去られていたはずのジグソーパズルのパーツが、また一つ、おやまた一つ、という具合に、まるで思いもよらない場所からぴょこんと顔を出すのだが、それらが必ずしも、ここだと思った場所にはまっていくわけでもない。
抽象画だと思っていた絵画が、数歩下がって見ることによって風景画であったことに気がついて、ポンと膝を打ったのもつかの間、更に後方まで流されることによって、本当は、それも人物画の背景に過ぎなかったことに気づいては、再び、三度と、繰り返し打ちのめされる。
博士が言うところの敢えて「すぽんと抜き取った記憶」が何であり、その理由が何であったかがはっきりした今、私がこれまで精一杯、力の限り生きてきたつもりの40数年は、実は、肝心なところをぼかして逃げ続けていただけの人生で、自分に都合よく書き換えた嘘で固めたシナリオを、私はただ、演じ続けてきのではとさえ思ってしまう。
「す、鈴木さん、どうかしましたか?」
博士の声で私は「はっ」と我に帰り、時空と自我の漂流から瞬く間に研究室に帰還した。
鼓動は早鐘を打ち、汗は顎を伝って滴っている。僅か1分足らずの時間であったろうに、私は驚くほど疲弊していた。
「具合が悪いんなら、次週にしてもいいんですよぉ。そういう方、結構いらっしゃいますからぁ」
助手のタカハシ女史が、心配そうに声をかけてくれたのだが、そうそう絵手紙の会合にかこつける訳にもいかないし、何よりも、ここまで来てもう後には引けないだろう。
「い、いえ、大丈夫です。本当の記憶が蘇って、そして繋がって、真相にちょっとびっくりしてしまっただけです」
私の言葉を継いで、博士が続けた。
「そうなんです。今までの自分の信じてきた過去が、実は、自分に都合のいいように作られた過去だった。それがわかってしまうと、誰しも、今生きているこの人生が、不確かで、言わば、基礎工事が無いに等しい土台の上に作られた、違法建築のつぎはぎだらけの塔みたいに思えてしまうものなんですよ」
私は、なるほどと思った。
「そう、確かに、そんな感じです。実は博士、今私は、大きな不安に駆られています。本当は、嘘はこの部分だけではないんじゃないか、過去のどの年代の私もが、都合のいい記憶の寄せ集めじゃないかと。私は自らの記憶の全てを、疑い始めているのです」
「なるほど、わかります。私は物理学者で生物学や医学が専門ではありませんから、大まかにしか説明は出来ませんが・・・」
そう前置きしてから、博士は続けた。
「恐らく、ある意味鈴木さんの思われている通りかもしれません。と言うのも、よく考えてみると当たり前の話なんですが、人間の一生分の出来事や思考の中では、忘れていることの方が、圧倒的、まさに圧倒的に多いんです。覚えていることの方が稀と言っても差し支えありません。人間の記憶のキャパシティーには限りがありますから、新たなことを覚える為に人間は、古いことを忘れていくわけです。脳細胞は、数え切れぬほどの抽斗(ひきだし)のある箪笥、そう考えていただいて結構です。
そして、実際に記憶するという作業はと言いますと、思い出の一つ一つを無作為に選ばれた抽斗にしまい込むようなものだと考えられています。
当然、抽斗の数が増えるにつれて、どこにしまい込んだかを探すのが大変になって、見つからないことも出てきます。これが、忘れるということです。ど忘れってよく言いますね。あれは、よく使う抽斗なのに、何かの拍子に思い浮かばないといった具合でしょうか。
そう言った様々な記憶の中でも、強烈なインパクトがあった記憶、エポックメイキングな記憶などは、思い出す頻度も高いだけでなく、その出来事がそれぞれの記憶と密接に結びつきあって、他の記憶と繋がりあって思い出されることが多いのです。そうです、連想というヤツです。
さあ、ここからが問題です。さて、そのような連想が高頻度で思い出されるとどうなるでしょうか?本来であれば、その事実が収められた複数の抽斗の記憶を、その都度同時に呼び出すべきところなんですが、抽斗には必要の無い記憶も収められているし、第一面倒です。無駄ですよね。楽をしたいと考える我々のとる短絡的な行動は・・・。
複数の記憶をコピーし、簡便にまとめ、新たな抽斗を作るのです。簡単に言ってしまえば、いいとこ取りの合成した記憶を作り出すのです。ええ、これは誰もが無意識の内にしていることです。決して、鈴木さん、あなただけじゃないんです」
第8回「加害者も被害者もあなた自身」へつづく
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