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2018年06月13日

その6 ココロニア建国史 独立への道/こころ王国「まりなさんと王様」

まりなさんと王様.png私たちが最初に始めたのは、船着場を作ることでした。リゾート開発途中で頓挫して放置された岸壁を、重機も何も無い私たちは、スコップ、つるはしの人力で整えたのです。交通、輸出入や漁業の拠点の港とする為に。それからの3年間は、辛いけれども楽しい毎日でした。私たちは、日中は田畑を耕し、魚を捕り、施設の充実のために汗を流しました。(本文より)



こころ王国「まりなさんと王様」 
その6 ココロニア建国史 独立への道


 王様は、遠くの空を見つめて、暫くの間黙っていました。きっと、理想郷に旅立った日のことを思い出しているのでしょう。
「私たちが最初に始めたのは、船着場を作ることでした。リゾート開発途中で頓挫して放置された岸壁を、重機も何も無い私たちは、スコップ、つるはしの人力で整えたのです。交通、輸出入や漁業の拠点の港とする為に。
 それからの3年間は、辛いけれども楽しい毎日でした。私たちは、日中は田畑を耕し、魚を捕り、施設の充実のために汗を流しました。
 夜になると、ある者は音楽を奏で、ある者はその音楽を聴きながら絵を描き、また、ある者はその絵を見ながら詩を書き、一方では、勉学に勤しむ者もいました。
 時間の流れが、こちらとは明らかに違いましたな。ゆったりとしていて、それでいてメリハリがあるという、そう、人間も、自然の一部なんだというのが、仲間の誰もが実感できる毎日でした。
 追い立てられるような生活から開放され、ありのままの人間でいられたことが仲間に変化を与えたたのでしょうか?驚いたことに、3年を経過した頃から移住をした仲間の各々が、今まで以上に、めきめきと才能を、開花していくようになったのです。
 その中のごく一部、一向に花開かぬのが、ふふふ、私たち夫婦でした。しかし、その頃の私たちは既に、管理人として仲間を守ることに生きがいを見つけていましたから、ちっとも悲しくなんかはありませんでした。
 私たち夫婦は、本島や本土を行き来しながら、仲間の書いた詩や小説、楽曲、動画や絵画等を紹介したり、新たな仕事を見つけてきたりしていました。私は、当時から顔だけは広かったですからな。
 そうこうする内に、私たちの島の仲間に対する評価は、それこそ、様々な業界で鰻上りに上がっていました。そのうち、大手の広告代理店でさえ、「熱田に大まかなコンセプトさえ説明すれば、一緒にいる連中が、絵や動画、音楽やコピーライトまでも完璧にやってくれる」というような評判が、噂されるまでになりました。なぜなら私たちは、私の取ってきた依頼、注文を、専門家もそうでない素人も、島の仲間みんなが面白がりながら、ああでもないこうでもないと口角泡を飛ばして、寄ってたかってみんなの力で1つに作り上げていたのです。
 私は「仲間」だとか「島の連中」だとかは別に、自分たちの名称が必要になったことを感じ始めました。私たちは、自分たちも気づかぬうちに、コミュニティという形をとった自由な創造集団になっていたのです。
 以降、私たちへの需要が増していって売り上げが上がっていくと、商品が絵画や動画、文章や詩や楽曲である以上、それまでの私がしてきたような、なあなあの付き合いではなく、著作権、肖像権といった知的所有権等の法的知識やきちんとしたマネージメントが必要になってきました。
 そこで大活躍をしてくれたのが法務大臣と、島に来るまで商社マンをしていた経済産業大臣です。むろん、当時はそんな呼び方はしていませんでしたがね。
 2人の活躍は目覚しく、また、仲間もそれに応える働きをしてくれ、島の収入は、彼らが折衝に当たってから半年ほどの間に、なんと3倍以上となって、島はみるみる潤っていきました。それはもう、昔の貧乏暮らしが信じられないほどです。
 そうなってくると、当然のように、島全体をプロダクション化して、法人にしないか、という意見が出てきました。仲間は口を揃えて、私に社長になってくれと言いましたよ。
 確かに法人化には、いろいろなメリットがあります。個人個人への日々の保証も確実にできますし、税務上でも有利なのは当然のことです。老後にだって備えることはできます。
 でも、私は、いやだったんです。なにか、今までの仲間との繋がりが、お金だけの繋がりになってしまうような気がして。お金が介在することによって、今までの心の繋がりが壊れてしまうような気がしてしまうんです。
 いえ、彼らに限ってそんなことはあろうはずがないと、信じてはいました。でも、私は、どうしても、その意見に心から賛成することが、できなかったのです。
 もともと、社長になってお金儲けをする為に、仲間とあの島に渡ったわけでは、ないのですから。
 ただし、私には成功しようとしている仲間に、私のエゴを押し付けるような真似、そう、才能を開花して飛び立とうとして、まさに離陸のために加速をしている仲間たちを、減速させてしまうような真似だけはしたくありませんでした。彼らには、仲間たちには、私たち夫婦と違って、漲るほどの才能があるのですから。
 私はある晩、島を離れる決意をし、妻にその旨を打ち明けました。妻は何ていったと思います?「あなたには、社長は向いていません。あなたは社長と言うよりも、そう、王様向きですわ」って言ったんですよ。私は吹き出してしまいましたよ。ふふふ、実はそのジョークが今の私、ココロニア国王に繋がっている訳なんです。
 まあ、それはさておき、妻の後押しで私の決意は固まりました。翌日、私は意を決して、仲間を集め、心中を余さず説明しました。そして、仲間に3日後に親子3人で島を出る、と伝えたのです。
 そうしたら、法務大臣がカンカンになって怒りましたよ。文部大臣も、建設大臣も、経済産業大臣だって、こんなに太い青筋立てて怒りましたから。
「僕らは、海蔵さん夫婦や、丸蔵くんのために、安定した会社にしたかったんですよ!」って、泣きながら怒るんですよ。「海蔵さんがいやだったら、会社にしようなんて、金輪際言わないっ!」って、大の大人がおいおい泣きながら言うんですよ。
 そこいら中の大人が誰かれなく泣いている様は、今思うと異様でしたな。かく言う私も、文部大臣と抱き合っておいおい泣きましたよ。そんな中、丸蔵だけが、どうしたの?どうしたの?って、みんなの周りをぐるぐる回ってましたね。
 では、どうしようかと考えていると、法務大臣が、六法全書を持って駆け寄ってきます。そして、みんなの前で叫んだのです。
「みんな、聞いてくれっ! 僕は、海蔵さんたち家族、そしてみんなと、これからも一緒に、ずっと楽しくやっていきたいんだ。そのために、本当の仲間になる為に、僕らは独立を、そう、僕らは独立をしようじゃないか」と。
 仲間があっけにとられて振り向くと、法務大臣は、手にした六法を掲げて、更に叫びました。
「地方自治法の第7条第1項に市町村の廃置分合又は市町村の境界変更は、関係市町村の申請に基き、都道府県知事が当該都道府県の議会の議決を経てこれを定め、直ちにその旨を総務大臣に届け出なければならない、とある。そして、同条第6項では、第一項及び前三項の申請又は協議については、関係のある普通地方公共団体の議会の議決を経なければならない、とされている。わかるだろ? わからないかい?
 この島の属している村議会の議席数は、7議席。と言うことは、村議会選挙で過半数を超える4議席を僕らが確保できれば、この島を、本島の村から独立した地方自治体にできるってことさ」
 この法務大臣の奇想天外な熱き演説にびっくりさせられたせいで、あれだけ滝のように流れ出ていたみんなの涙は、一人残らず、一滴残らず、ものの見事に止まってしまったのです。
 さて、ここからのお話は、決して面白いものではありません。
言わば、政治のドロドロしたお話も絡んできますからな。
 もともとあの本島の村では、村議会議員選挙だなんて、投票自体がほとんどなかったらしいんです。公示前に3人の長老が集まって、次はお前とお前って具合に、7人の村議会議員立候補者が決まってしまう。逆らう人なんかはいませんでしたから、後は、無投票。その7人がすんなり決まっていたんですな。もちろん、村長だって同じです。全ては、長老たちのさじ加減次第だったのです。
 そんな島で、何十年かぶりの選挙がいつの間にか無人島だった島に移り住んだどこの馬の骨ともわからない連中によって行われるのです。まあ、私たちのようなよそ者は、歓迎されない土地柄でしたから、風当たりも、相当に強かったですな。
 1回目の村会議員選挙は、私たちの中から、私と数名が村議会に立候補しましたが、もちろん、最初から過半数など夢のまた夢。どうにか、私一人が当選するのが精一杯でしたな。
 村民の数は約400人、うち有権者は340人ほどです。ですから、50票前後が当落のボーダーだったわけです。それから考えると、私たちの仲間は47名。仲間が爆発的に増えない限りは、どう考えても過半数は夢物語でした。そんな現実がわかってくると、いつしか選挙は、私たち仲間の夢を確認しあう、お祭りのようなイベントになっていきました。声をからして叫び、歌い、気分も高揚して、本島をみんなで駆け回りました。
 かと言って私は、村議会議員の職を軽んじていたわけではありませんよ。それどころか、今までしがらみによって解決できなかった問題を、ある意味、第三者としての立場で次々に片付けていきました。私は、3回目の当選を果たし、10年も村政にかかわっていると、少しずつですが、本島にも私を支持してくれる人が現れました。嫁いできた奥さんが、お姑さんに内緒でとかね。
私の「過去のしがらみから抜け出そう」という声が、少しずつみなに届き始めたんですな。それと共に、コミュニティの運営は順調そのものでしたから、本土から移住して来た新たな仲間も、徐々に増えていきました。
 そして、ついに4回目の選挙で、私たちは、私と建設大臣の2議席の確保に成功したのです。仲間の数が70人弱でしたから、いつのまにか本島にも30人位の私たちの支持者ができていたわけです。それは、旧態依然とした村の風習から抜け出したいという比較的若い世代の人たちがそうでした。
 そしてその翌年のことです。驚いたことに、本島の住民の中から、私たちの島に移住したいという若夫婦が出たのです。簡単に言うと、親子喧嘩の末のことだったのですが、長老の内の1人の孫娘夫婦が、突然、私たちの島に現れ、一緒にやりたいと申し出てくれたのです。
 誰だと思います?それがほら、あの、執事長ですよ。長老らは私たちに、彼らの身柄の引渡しを求める通告してきました。まるで、亡命者を巡る、どこかの大使館のようなお話です。
 もちろん、私たちは断固拒否をしましたよ。例え、拒否することによって、
今まで以上に本島との軋轢が激しくなったとしても、ここでそんなことを認めてしまったら、私たちの仲間全員が、今までの生き方の一から十までを、全て否定することになってしまいますからね。
 この2つの島を巡る、いえ、2つの価値観を巡るあまりにも象徴的と言える衝突が、ココロニア独立戦争の引き金となりました・・・」

その7へ続く




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名 前/maruzoh こと 熱田丸蔵
出没地/和光、富士宮、麹町 誕生日/9月7日 乙女座
好きなもの/こども、詩、絵、童話、小説、音楽、お酒、美味しいもの、犬、野球、寺、神社、花、ギター、家族
とても影響を受けた人/灰谷健次郎さん、鹿島和夫さん、ドン・カ・ジョンさん、かしわ哲さん、PANTAさん、ジョン・ライドンさん、小澤征爾さん、帚木蓬生さん
maruzohより一言/運も、人も、夢だって、欲しがり過ぎると逃げてっちゃう。幸せは、み〜んな天下のマワリモノ。みんなで仲良く分け合おう♪



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